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伝統と創造茶道と建築音楽と建築職人との協働生活と設計あるべきようは

「阿留辺畿夜宇我(あるべきようわ)」は高山寺の開祖・明恵上人の、自分の生き方を律するための簡潔にしてかつ根本的な言葉。その言葉の真の意味は明恵上人の置かれた状況や時代背景を理解した上で初めて解るものと思いますが、現代において建築を設計しようとする時にも、一つの指針となる言葉であるように感じています。建築設計は建築主からの依頼によってスタートしますから、建築主の要望を形にすることが第一義ですが、要望の言葉そのままをかたちにするだけでなく、専門家として建築主の言葉の奥にあるものを捉え、それを建築主の想像を超えるかたちで実現することが設計者のするべき仕事であり、そこには建築主のための建築としてあるべきかたちはどういったものなのか、という問いがなければならないと思います。また建築はある特定の土地の上に立つものである以上、その土地や周辺環境からの要請というものもあると考えます。建築主や建築家のエゴを体現するような建築だけが建築ではありませんし、周辺環境に迎合したような建築だけが建築ではないように感じます。周辺環境に馴染ませるべきか、あえて対立するような建築をつくるのかといった問いも含め、その土地にあるべき建築というものについて深く考えなければならないと思います。また歴史を顧みて、未来を見据え、現代社会が抱える諸問題にも真摯に向き合い、今我々が作るべき建築はどういったものなのか、ということについても、常に自問していかなければならないと考えます。どういった材料を使うべきなのか、どうような構法を採用するべきなのか、どのようなかたちにするべきか、どのような大きさにするべきか、設計者は広い視野と深い思慮を持って、その難問に立ち向かわなければならないと思います。

岩崎建築研究室